2008年7月29日火曜日

カンボジアでのビジネス

カンボジアで仕事をすると、打合せの合意事項や仮調印を反古にされる事があります。このようなことは、昔に台湾や中国の企業と仕事をされたことのある人であればおわかり頂けると思います。

カンボジア人でも難民として移った米国やフランスなどから戻ってきた人はこのような問題が発生することは少ないようです。しかし、カンボジアで生まれ育った人は問題が発生する確率が高くなる傾向があるようです。

途上国の企業とビジネスを進める上のリスクの一つですが、理由の如何に関わらず合意内容を反古にされるというのは悩ましいものです。

2008年7月24日木曜日

プノンペンの家電

カンボジアの学校では第一外国語として英語を教える事が多いようです。私の知る限りでは隣国のタイ語やベトナム語は教えていません。

しかし、プノンペンで売られている商品の多くはベトナムとタイから入ってきたもので、商品名はもちろん、説明書きもベトナム語やタイ語が多く、一部に英語がある程度です。

このために、家電製品を買っても彼らは説明書を読めません。使い方は店員の説明だけが頼りで、その説明も多くが又聞きです。その結果、消費者の使い方は滅茶苦茶になります。

冷蔵庫のドアを開けっ放しにする。洗濯機にコップ一杯の洗剤をいれる。炊飯器の水量が分からない。なとなど、枚挙にいとまがありません。

家電に限りません。例えば高額なヘアケア商品を買っても説明書きはタイ語です。商品内容が分からないので、ヘア コンディショナーを買ってシャンプーとして使ったりしています。

2008年7月14日月曜日

なぜオムツ?

プノンペンでは乳幼児にオムツをしません。東京の夏は蒸し暑くてプノンペンよりも過ごしにくいのですが、オムツをします。オムツを外すと足をばたばたさせて喜ぶ乳幼児が多いことから、オムツからの開放感は乳幼児にとって快感だろうな、と思います。

プノンペンの家の床は石か板で、漏らしても簡単に掃除できます。しかし、畳や絨毯の日本ではそうは行きません。夏のオムツの一因はこんなところにもあるのかもしれません。もし、それだけが理由なら乳幼児にとって迷惑な話です(笑)

2008年7月4日金曜日

カンボジアの外国語教育

ご存じの方もいると思いますがカンボジアの学校は小中高と午前か午後の半日だけの授業です。残りの半日も勉強するには塾のようなものがあり別料金になります。また、多くの教師は昔の日本と同じ授業方法で、理解するための授業ではありません。

さて、日本語は一億人を超える利用人口があり、また購買力も比較的高いので政治的にも経済的にも無視しにくい存在と言えます。しかし、クメール語はそうでなく、新しく言葉を学ぶ子供の将来にとって英語を初めとした外国語の学習は重要です。

フランス語と中国語も人口は多いのですが、国際的に活躍するフランス人や中国人は英語も話せる人が多くいます。

また、その英語はクイーンズか、米国の東海岸あるいは西海岸の英語が望ましいでしょう。

そうなると、子供をPhnom Penhで育てるには、経済的に許される限り英語のInternational Schoolに通わせることになり、そのような学校は三校か四校ほどあるようです。

2008年7月3日木曜日

iPhoneとMacintosh

今、iPhone SDKの資料を読んでいるのですが、始めてMacintoshを使ったときのことを思い出しました。

昔のパーソナル コンピュータに対するMacintoshと、携帯電話に対するiPhoneは同じ関係のように感じます。

始めて使ったMacintoshはMacintosh Plusですが、自分のコンピュータでマウスもウィンドウ システムも使っていました。しかし、Macintoshほど統一された使い勝手のOSは未知のもので、快感でした。同様にiPhoneに使われている個々の機能は既存のものですが、その操作性の統一感は未知のもので、快感でした。

また、その統一感はAppleのアプリケーションだけでなく、他社のMacintosh用アプリケーションにも及びました。当時はこのことを強制的な制約として捉え、非難するプログラマが多くいました。

この操作性の統一感による違いは、個々の機能のみを評価する人には分かりにくいと思います。しかし、利用者としてはMacintoshの統一感は使い勝手の良さとして快感でした。

iPhoneも同じ方向性であると感じます。