2007年7月25日水曜日

不可視フォルダの設定

Mac OS XはUnix系のOSですが、/bin/や/usr/などのUnix系独自のフォルダは見えないようにしています。ここではフォルダを見えないようにする方法を紹介します。

フォルダを見えなくする最も簡単な方法はフォルダ名の先頭に「.」(ピリオード)を置くことです。しかし、ファイル名を変えるというのは何かにつけて不便です。Mac OS Xのファイルシステムにはフォルダを不可視にする設定があり、Unix系フォルダはAppleのコマンドライン・ツールを利用してこの設定をしています。

このWeblogを読んでいる人であれば、Developer Toolsをインストールしていると思います。もし、まだであればこれを機会にインストールすることをお勧めします。開発環境が無料で付属しているのは、旧Systemと比べた場合のMac OS Xの利点の一つです。旧来のMacユーザには取っつきにくく不便ですが、せっかくあるものを利用しない手はありません。

まずは、不可視にするフォルダをGetFileInfoで調べます。書式は以下の通りです。

GetFileInfo フォルダへのパス

例えば以下のようになります。ルート・ディレクトリに/MyFolder/があるとして、

$ /Developer/Tools/GetFileInfo /MyFolder/
directory: "/MyFolder"
attributes: avbstclinmedz
created: 07/25/2007 17:29:05
modified: 07/25/2007 17:29:05


SetFileの-aスイッチにV引数を付けて可視( 小文字のv )/不可視(大文字の V )の設定します。

SetFile -a V フォルダへのパス

例えば以下のようになります。

$ /Developer/Tools/SetFile -a V /MyFolder/

ちなみに、/Developer/Tools/GetFileInfoと/Developer/Tools/SetFileは各ツールのアイコンをターミナル画面にドラッグ&ドロップすると入力できますし、ターゲットのフォルダも同様にドラッグ&ドロップで入力できます。

/Developer/Tools/フォルダには他にもさまざまなツールが入っていますので、暇なときにmanで調べると時間つぶしができます。

2007年7月16日月曜日

SMARTQueryとAppleの資料

先にも紹介したSMARTQueryですが、ソースコードをみるといくつか面白いことが分かります。
SMARTQuery.zip

windowSMARTs.mファイルのGetDeviceObjectで、
IORegistryEntrySearchCFPropertyを使って"SMART Capable"を検索しています。そこで、IO RegistryをIORegistryExplorer.app (/Developer/Applications/Utilities/IORegistryExplorer.app)を使って調べました。"IOService" Service Planeから"pci@f4000000 > AppleMacRiskPCI > ata-6@D..."の順に追いかけると"IOATABlockStorageDriver > IOATABlockStorageDevice"の中に"SMART Capable"というBooleanのKeyがあります。

しかし、FireWireのデバイスにはこれに相当する"IOBlockStorageDriver"の下はハードディスクの名前がそのまま出てきて、"SMART Capable"というBooleanのKeyがありません。将来はこの"SMART Capable" Keyが追加されるのかもしれませんが、少々大きな変更になる可能性があります。

他にs.m.a.r.t.に関連するMac OS Xの資料としては以下の資料があります。
Sending SCSI or ATA commands to storage devices

ここに以下のような記述があります。
The same design applies to the ATA family as well: sending commands directly to ATA and Serial ATA (SATA) devices is unsupported. However, the ATA family does provide a device interface that allows applications to read SMART (Self-Monitoring, Analysis, and Reporting Technology) data from ATA and SATA devices that implement the SMART feature set.

smartmontoolsのインストール方法

smartmontoolsのサイトにはインストール方法が解説されていますが、Mac OS Xにインストールするには情報が不足しています。ここでは、不足している部分も含むsmartmontoolsのインストール方法を紹介します。
smartmontools Home Page

ここでは、ソースコードのダウンロードとインストール方法がいくつか紹介されていますが、Darwinは三つ目にあります。
Third Method (Darwin/FreeBSD/Linux/NetBSD/ OpenBSD/Solaris/Cygwin) - Install from the CVS repository

まず以下のようにcvsにloginします。
$ cvs -d:pserver:anonymous@smartmontools.cvs.sourceforge.
net:/cvsroot/smartmontools login


cvs repositoryから以下のような応答があり、CVS password:で何も入力せずにリターンキーをタイプします。
Logging in to :pserver:anonymous@smartmontools.cvs.
sourceforge.net:2401/cvsroot/smartmontools
CVS password:


次に、以下のようにタイプします。
$ cvs -d:pserver:anonymous@smartmontools.cvs.sourceforge.
net:/cvsroot/smartmontools co sm5


上記のcvs命令に対して以下のように応答し、カレントディレクトリにsm5というフォルダができ、ソースコードがダウンロードされます。
$ cvs checkout: Updating sm5

ここまではsmartmontools Home Pageに書かれているとおりですが、次に書かれている./autogen.shを入力すると以下のようなエラーが表示されます。
You must have at least GNU Automake 1.7 (up to 1.9.x)
installed in order to bootstrap smartmontools from CVS.
Download the appropriate package for your distribution,
or the source tarball from ftp.gnu.org—automake <ftp:
//ftp.gnu.org/gnu/automake/> .

Also note that support for new Automake series (anything
newer than 1.9.x) is only added after extensive tests. If
you live in the bleeding edge, you should know what you're
doing, mainly how to test it before the developers.
Be patient.


上記にあるAutomakeを入手するために、Mac OS XのFinderで「移動 > サーバへ接続...」を選択し、「ftp://ftp.gnu.org/gnu/automake/ 」と入力してFTPサーバに接続し、automake-1.9.6.tar.gzを入手します。automake-1.9.6.tar.gzをダブルクリックして伸張し、ターミナル.appでautomake-1.9.6/ に移動してビルドします。
$ cd automake-1.9.6/
$ ./confiqure
:
$ make
:
$ sudo make install
Password:
:


以上でAutomakeの準備ができましたので、本来のsmartmontooolsのautogen.shに戻ります。
$ ./autogen.sh
:
$ ./configure
:
$ make
:
$ sudo make install
Password:
:


以上で、smartmontooolsのsmartctlとsmartdが利用できます。それぞれの使い方はmanに譲りますが、以下のようにすると起動ディスクのs.m.a.r.t.データを見ることができます。
$ smartctl --all disk0

s.m.a.r.t.

Googleの報告によるとハードディスクの自己診断試験s.m.a.r.t.を利用すると、6割ぐらいの確率でクラッシュ前に分かるそうです。
Failure Trends in a Large Disk Drive Population

私は日経エレクトロニクス2007年4月23日版に掲載されていた日本の抄訳版で知りました。

ハードディスクが故障する確率は少なくとも50%ではない(笑)と思うので、65%は調べるに値する検査だと思います。

s.m.a.r.t.の解説とソフトウェアの紹介はWikipediaにありますが、例によって紹介されているソフトウェアのほとんどはWindows版です。
Wikipedia: s.m.a.r.t.

Mac OS X 10.4.xに付属するDisk Utility.appはs.m.a.r.t.が表示されますが、どのような内容を元に「S.M.A.R.T. 状況 : 検証済み」としているのかが分かりません。Googleの報告書を読んでいなければこれでも良いのですが、読んでしまった以上はAppleがどのような基準を元に「検証済み」と判断したのかが気になります(苦笑)

さらに、検証結果を見られるのは内蔵のATAまたはSATAドライブのみで、USBやFireWireなどで接続したATAドライブの検証結果を見ることができません。そこでハードディスクからs.m.a.r.t.の内容を取り出すソフトウェアを調べてみました。

■ SMARTReporter
SMARTReporterはMac OS Xに付属するDisk Utility.appがだす報告と同じですが、起動時に調べた内容をLogとして記録できます。
SMARTReporter

報告内容だけでなく、対象ドライブもDisk Utility.appと同じです。USBやFireWireのドライブを見たいひとはAppleに頼むように書いています。いずれAppleがUSBやFireWireのドライブやRAIDドライブもサポートするだろうから、ジタバタしないという意味でしょう(笑)

■ smartmontools
SMARTReporterのReadMeには詳細な報告が必要な場合にはsmartmountoolsを使用するように書いています。smartmontoolsはMac OS X(Darwin)で使えるコマンドラインツールです。
smartmontools Home Page

このツールはs.m.a.r.t.の検査結果の詳細を表示してくれますが、ソースコードを入手して自分でコンパイルしなくてはなりません。さらに、対象のドライブも内蔵ドライブのみです。ソースコードをみるとSCSIやATAのドライブをBSDのAPIでオープンして命令を送っているようです。

■ SMARTQuery
これはAppleが公開しているサンプルコードですが、s.m.a.r.t.の検査結果の内容を表示してくれます。
SMARTQuery

これは2007年5月30日に公開された新しいサンプルコードです。ここからもs.m.a.r.t.のサポートは始まったばかりという感じがします。ソースコードを元に少し調べてみると、Appleはデバイス管理データベースであるIO Registryにs.m.a.r.t.の項目を追加しています。本格的にサポートすることを検討しているのかもしれません。

Appleが外部ドライブでもs.m.a.r.t.をサポートするようになるのはいつかは分かりませんが、自分で開発するより待った方が良さそうです。

ちなみにWindowsの世界ではいくつかのサードパーティが外部ドライブをサポートしている点が「売り」になっているようです。ただし、サポートできる外部ドライブはメーカ指定で、汎用になっていないようです。

2007年7月9日月曜日

Info.plist

USB装置用にkextドライバを書くときに必ず問題となるのがInfo.plistに書き込む内容です。他のkextドライバのInfo.plistをコピーして場当たり的に修正しただけで、プログラムを書ける場合もあります。しかし、後で問題となる確率も高くなります。

Appleの資料
Appleの資料ではInfo.plistを書くにはUSBの規格書を読むようにと書かれていて、usb.orgのURLが書かれているだけです。しかし、usb2.0の資料は650ページもある膨大なもので、英語が外国語の人間には資料がないのと代わりありません(苦笑)

しかし、そこはPCの良いところで「比較的」簡単に検索ができます。具体的にはPreview.appのSearch欄に"Configuration Descriptor"と入れると、読むページをかなり限定できます。

USB Prober
この手の規格書には具体的な例が少なく分かりにくい事が多いのですが、USBの場合にはマウスやキーボードなどの具体例が目の前にゴロゴロしています。標準の開発パッケージに入っているUSBProber(/Developer/Applications/Utilities/USBProber.app)でUSB装置のDescriptorを見ながら読むことができます。

例えばAppleのマウスでは以下のように表示されます。



IORegistryExplorer
他にもIORegistryExplorer(/Developer/Applications/Utilities/IORegistryExplorer.app)があります。ServicePlanesでIOUSBを選択して、その右の欄にあるRootから順に追いかける事ができます。



USB規格書
USB規格書はなんと言っても基本ですが、いきなり電子回路とレジスタ(メモリ)そしてソフトウェアをつなぐ文章は初めてのひとには辛いと思います。電子回路の知識のある人にはUSBの予備知識として以下のNECのサイトをお勧めします。

http://www.necel.com/usb/ja/about_usb/index.html

さて、Previw.appでUSB規格書を検索してInfo.plistに関連する内容を抜き書きしてみました。

USB規格書に9.6 Standard USB Descriptor Definitionsという項目があり、この辺からinfo.plistに出てくる文字列が出てきます。

9.6.1 Deviceからdevicedescriptorに関する解説が始まります。Table 9-8. Standard DeviceDescriptorにそれらしき文字列が出てきます。ただし、Table 9-8の最初の4バイトはAppleのUSB Prober.appやIORegistryExplorer.appでは表示されません。また、他にも表示されなかったり、独自表記している部分があり注意が必要です。

9.6.3 ConfigurationからはUSB Prober.appと同じ"configuration descriptor"が、また9.6.5 Interfaceからは"interface descriptor"の詳細が記述されています。

USB Proberでは▼Configuration Descriptorの▼Length (and contents): の下に生のデータが16進数で表示されおり、その解釈が続きますが、その内容とUSB規格書の9.6.5 Interface以降の表とビット単位で対応させることができます。

なお、Interface Classなどソフトウェアに近い規格の定義に関しては別に定義されています。

USB.org Approved Device Class Document Download


例えばマウスなどのHID(Human Interface Devices)装置ではHID1_11.pdfがあります。HID Descriptorの詳細はこの資料の6.2.1 HID Descriptorに解説されています。リストの書き方がUSB規格書とは少々異なりますが、書いていることは同じです。USB ProberでAppleのマウスを見ると▼HID Descripterの下に記述されているCountry CodeはHID1_11.pdfではbCountryCodeと書かれていて6.2.1 HID Descriptorの次のページに国名のリストがあります。

さらに、USB ProberでAppleのマウスを見ると以下のような階層になっています。

▼Configuration Descriptor
  ▼Interface #0
    ▼HID Descripter
      ▼Descriptor 1
        ▼Length (and contents)
        ▼Parsed Report Descriptor

▼Length (and contents)が前述と同様に生のデータが16進数で表示されています。また、その解釈が▼Parsed Report Descriptorに記述されています。この内容とHID1_11.pdfの6.2.2 Report Descriptorの最後に掲載されているマウスのデータを比較すると対応関係がわかると思います。

2007年7月1日日曜日

アンコールワット・ハーフ・マラソン

2003年の12月5日にアンコールワット・ハーフ・マラソンに参加しました。以下はその時のメモです。

プノンペン在住のJICA シニアボランティアからは総勢5人の参加です。

前日の早朝にプノンペンを発ち、シェムリアップのホテルにチェックイン後、運営事務局に行って最終登録をすませます。実は事前登録の時点でいろいろと問題があり、最終登録でも事前に渡していた写真がなくなり、一部の人が市内のカメラ屋で撮影しなおすという問題が発生しました。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

私はアンコールワットが初めてだったので、ほかの皆さんにおつきあい頂いてコースの下見をかねて観光しました。もちろんコースの下見は車ですが、車で走ってもハーフ・マラソンの21kmはほんとうに長いです。

シェムリアップに来る前に、あらかじめ1時間半走って体調を見ると同時に時間を計りました。その結果を基に計算すると21kmを走るのに四時間かかります。その時には時間制限がないという話しでしたので、私はのんびりと駆け足程度で走る事にしていました。

ところが、下見の時に恐ろしい話を聞かされました。3時間を過ぎると会場が撤収されて誰もいなくなり、遅い走者は後ろからトラックで追いかけられ「トラックに乗れば楽だよ!」と悪魔のささやきがある…そうです。

出発は朝の7時ですが、例によっていろいろと出発前の儀式がいろいろとあります。ところが、主催社「ハート・オブ・ゴールド」代表でマラソン走者でもあった有森裕子さんが来てません。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

ようやく儀式も終わり7時30分に出発です。同行の知人は10kmコース参加予定を急遽予定変更してハーフ・マラソンで出発です。私はとにかく3時間を切らなくてはならないので、駆け足よりも早めで走り始めます。たくさんの参加者がいるのであっという間にみんなバラバラになって走る事になります。最初の頃は交通制限や整理もあるのですが、30分も走って「アンコールワット」の東側辺りになると交通整理すらなくなります。

バスやトラック、乗用車などが道路脇を走る私のすぐ脇をかすめるように・・・いや一台のバスは実際に私をかすめて走り抜けました。道ばたには露店や一般の観光客、声援の人達がいるし、石やゴミが多くて、道の端によって走ることができません。これでは危険なので、道の中央を走ることで車からよく見えて、大きく迂回しないと追い抜けないようにして走ります。それでも、バスや4WDのディーゼル・エンジンからはき出される黒煙の中を走る事になります。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

さらに30分ほど走って「バンディアイ・クディ」という遺跡で左折すると車の数が少なくなります。道ばたには歓声を送ってくれる地元の人々がいます。子供達はハイタッチしようと近づいてきますが「この歓声にハイタッチなどでまともに答えていると体力を失う」そう聞いていた私はニコリとするだけで勘弁してもらいます。一緒に走る子供もたくさんいて、アッという間に追い抜いてきます。いやみたらしく何度も追い抜いていく子もいますが、この挑発に乗ると残された道は自滅とその後に続く周囲からの嘲笑と自責の念だけ…我慢ガマンです。

テレビなどで知っている人も多いともいますが、マラソンのコースには給水所があります。テレビなどでは紙コップで渡す場面をよく見ますが、ここでは500mlのペットボトルが用意されています。知人にマラソン好きの米国人がいるのですが、彼に言わせると給水所の数が十分ではないそうです。実際にこの問題を見越して一部の欧州人グループはコースの要所々々で特性の飲み物を準備して、美人の女性が渡しています。それを羨ましく思いながら通り抜けます。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

私は水を一口か二口飲む程度にして、あとは頭と両足にかけます。12月といえどもカンボジアの炎天下ですので帽子は必須です。私の帽子はメッシュになっていて水をかけるとしばらくは涼しくなります。私の服装はTシャツに膝までのズボンですが、履き物はプノンペンで買ったサンダルです。

私は走るのも歩くのも下手で 山を3日か4日歩いただけで足の爪がはがれます。登山用に靴を特注で作ってもらった事もありますが、爪がはがれます。プノンペンには靴の特注を受けてくれる店もあるそうですが、ランニング用の靴は素材がありません。そこで、面テープ(マジックテープ)でピッタリと足にあって軽いサンダルを選びました。それでも、よほど走り方が悪いらしく、他の人の足音に比べて私の足はドタドタと大きな音を立てています。走り方を変えればよいのですが、すでに走り始めてから一時間を過ぎて、そのような余裕もなくなってきます。

コースの給水所のすこし先にはボトル拾いの少年少女が待ち受けています。こちらの余裕がないので拾ってくれるのを願って彼らの足下に向かって投げます。できるだけ小さな子供に向かって投げようとするのですが、コントロールが悪くて年長の子供達が走ってきて持って行きます。声援を送ってくれる子供達と比べて、彼らが無表情なのが気になります。

コースの半分ぐらいから足以外の筋肉が痛くなり始めます。足が痛くなるのは最初から覚悟していたのですが、両腕と両肩、さらに腹筋が痛くなるとは思ってもいませんでした。山を歩いている時にこのような事はありません。マラソンを走る時には足だけでなく両腕や腹筋などのトレーニングもした方が良さそうです。

痛くなった筋肉は水をかけると少し治まりますが、給水所が少ないのでなかなかそうも行きませんし、500mlのペットボトルを手に持って走るだけの余裕もありませんし、腰などにぶら下げるペットボトル用袋などは邪魔になりそうです。ただし、もうしばらく走ると体が麻痺して痛みすら感じられなくなります。

痛みが感じられなくなった頃に、後ろから知人がが声をかけてくれました。私はいっぱいイッパイで、返事すらまともにできません。知人はあっという間に私の視界から消えます。痛みは感じられなくなるのですが、ペースがドンどん落ちていきます。気づくと遅くなっているので、絶えずペースに気を遣うようにします。何度か他の人の後ろを走る事で走るペースを一定に保とうとするのですが、こちらの体力がついていけず取り残されてしまいます。もう少し体力があるつもりだったので、これはかなり悔しいです。

「勝利の門」を抜けて「綱渡り踊り子の塔」辺りになると「象のテラス」がみえます。ここでは何かの大きな法要があるらしく、鉄骨アングルを組み舞台を大きくして椅子を並べています。昨日の下見で見た風景なので何となく分かるのですが、疲れがひどくて黄色い法衣をまとった僧侶が多いなと感じるだけです。

「バイヨン」の西側を迂回して「南大門」を抜けます。「南大門」とそれに続く橋の辺りは道幅も狭く観光客も車も多いのですが、交通整理されてません。ここでは観光客と車の間を右に左にとよけながら走る事になります。実際に観光客に混じった東洋人男性がよろけて私に当たりました。しかし、今から思えば疲れたランナーをねらったスリだったかも知れません。幸い私は何も持たずに走っていたのですが要注意です。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

「南大門」からは最終の直線コースです。この直線コースがどれだけ続いているかイメージできてきませんし、アンコールワット前のどこがゴールになっているのかも分からないので、どの時点で残った力を振り絞って良いかが分かりません。昨日に渡されたパンフレットに地図があるのですが、ゴールの場所が分かりにくく、現地で探してもよく分かりません。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

やむなく、アンコールワットが見えるようになった辺りでラストスパートする事にしました。ゴールは右という横断幕も見えます。ちょうど前を走っている東洋系女性に一緒に走らないかと声をかけて、声を出しながらペースを上げていきます。思っていた以上に力が残っていて、右折時には体を右に倒して回るほどです。アンコールワット前で西に右折すると、木々に隠れていたゴールが20mほど先に見えます。ゴール・ゲート上にはデジタル表示の時計があり、私は2時間22分30秒でした。

サラ・ボントラバエからのお知らせ

私の派遣先であった日本カンボジア友好技術訓練センターは地元の人からはサラ・ボントラバエとよばれています。

場所はJICA事務所の前を通るモニボン通りを南に下り、大学と高校の次にこのセンターがあります。

サラ・ボントラバエでは印刷、シルク印刷、木工、電気製品の修理、縫製を教えています。当センターの授業料は無料です。各部門が商売をして収益を上げ、その収益を元にカンボジアの人々に技術を教えています。

印刷部門はカンボジアでも有数の印刷技術を誇っています。シルク印刷部門では横断幕やTシャツなどの印刷を請け負っています。木工部門では教育用の木工品や椅子などの家具を手がけています。さらに、電気製品の修理では修理店を開いています。

さて縫製部門ではセンター内にお店を持っており、シルクのドレスやシャツのオーダーができます。市場などで買った生地を持ち込んで、縫製だけしてもらうこともできます。また、カンボジア土産によいシルクの小物も製造販売しています。シャツや小物に名前などの刺繍を入れることもできます。

私は、携帯電話をいれる小物入れをオーダーしました。ベルトに取り付けたり、首から提げられるようにして、名前を刺繍してもらいました。布地代、縫製代、刺繍代も含めて$7.00でした。

カンボジアの人々が技術を習得できるように、是非、当センターをご利用下さい。

心付け

十年以上前の話しになりますが、電子楽器のメーカーで修理や改造をしていたことがあります。そのころに修理の部品代や技術代(人件費)などの価格体系を決めるために苦労したことがあります。

ある集まりで、カンボジアにボランティアできている人が「日本では修理代が高くて困る。カンボジアで修理したら日本の数十分の一だ。」と嘆いていました。

修理代金は修理に対する品質保証など、さまざまな考え方があるため一概に評価することは困難です。しかし、一般的に修理代は部品代よりも人件費の占める割合の方が遥かに多くなります。

つまり、修理代が高いと言うことは人件費が高い、人件費が高いと言うことは給料が高いと言うことにつながり、所得が高いと言うことになります。

逆に言えば修理代が安いと言うことは、所得が低いと言うことです。

ボランティアの目的の一つに支援先の生活向上のための所得向上があると思います。所得を向上させるためには、賃金が上がらないと行けません。つまり、ボランティアは修理代が安いと喜ぶのではなく、修理代が安いと悲しまなくてはなりません(笑)

また、「カンボジアの物価は日本よりも安いのだから」と言って、相手の儲け分を無視して値切って買おうとする「値切り」マナーの悪い人すらいます。これも同様にボランティアが値切るのは良くないことで、「外国人価格」を支払って支援先の所得の向上にわずかでも役立たないといけません(笑)

もちろん、買い物の楽しさの一つに、値切り交渉の楽しさがあります。やり取りの楽しさの他に、安くなれば安くなるほど楽しいと言うこともあります。それならば、安くなった分の一部でもチップとして渡すことが、外国人ボランティアのマナーではないでしょうか?

ところで、「日本にはチップの習慣がない」とテレビでうそぶく有名人を見たことがあります。彼や彼女は「心付け」や「祝儀」という大昔から日本にある習慣を忘れた寂しい日本人です。いかに上手く心付けを渡すかが、その人の品位を示すこともあります。

日の出と日の入り

2007年の6月22日は日本では昼が最も長くなる夏至でしたが、赤道に近いカンボジアでは一年中午前6時頃に日が昇り、午後6時頃に日が沈みます。

日本で時間を決めて朝の散歩に出ると、冬に散歩に出ると薄暗いし、夏は日がさんさんと照っている、と言うようなことになりますが、カンボジアではそんなことはありません。カンボジアでは時間を決めれば戸外の明るさも決まります。

南十字星

「南十字星」「サザンクロス」と聞いて皆さんはどのようなイメージを持ちますか?ロマンチック、新婚旅行、心癒される兵士、いろいろとあると思います。

カンボジアでは、その南十字星を見る事ができます。5月初旬だと10時頃、中旬には9時頃、下旬には8時頃に真南の空に見えます。南の空の少し低いところを見ると十字に並んだ星を見る事ができます。右側の星が少し暗めですが慣れれば簡単に見分けられます。

南十字星だけでなくサソリ座やケンタウロス座など天の川に沿って南の空は美しいですよ。東から南、西の順に、ヘラクレス、蛇遣い、オオカミ、定規、コンパス、ケンタウロス、南十字星、ハエ、竜骨、帆、 羅針盤、船尾、大犬、一角獣、子犬、双子座、と並びます。

私の滞在先では窓を全開にして楽しむ事ができます。このためにわざわざ双眼鏡を買いました。光害の多いプノンペン市内でもよく見えますので、他の場所ならとてもきれいだと思います。

半年ほど前までは蚊が多くて星を見るのに困りましたが、最近は蚊の駆除が進み少なくなりました。プノンペンは夜間の気温でも28℃前後ありますが湿度は50%から70%の間で、東京や京都の夏のように湿度80%や90%以上!という事はありません。とくに滞在先では窓を全開にするとビル風が吹き抜けて、星を見ながら気持ちよく過ごせます。もちろん、蚊の大群が押し寄せたり、風のない日は退散です。

インターネットを利用できる方にはプラネタリウム・ソフトウェアが無料で配布されています。

Solar System Simulator Project
http://www.sssim.com/

ここには教育用のプラネタリウム・ソフトウェアがあり、小学生向けの簡単な星座図から始まり、中学生や高校生向けの天文学の解説まで入っています。Windows XP版は「太陽系シミュレータースタジオ」、Mac OS X版は「太陽系シミュレーター 教育用普及版」と言います。太陽系の動きなどをアニメーションで解説していますので、大人でも楽しめます。日本語版だけでなく英語版も入っていますので、カンボジアの人達にもお勧めできます。

雑巾の色

プノンペン市内でも物乞いで生活している子供達を見ます。雑巾の色、それが貧しい子供達が着ているシャツの色です。汚れて、洗って、汚れて、洗って、なんども、なんども、繰り返した色です。雑巾の色は貧困の色、ニッコリした歯の白が似合う色です。

雑巾の色は忘れた色でした。掃除の時には化学雑巾で使い捨て、飲み物をこぼすとティッシュやペーパータオルで使い捨てです。子供の頃、冬の朝に氷の張ったバケツにカチカチの雑巾が掛かっているのを思い出します。手に息を吹きかけて絞った雑巾、廊下を拭き走った雑巾、忘れられた色です。

子供の頃の膝あてズボンや肘あてシャツ、かかとやつま先の継ぎあて靴下、そんなときの色も雑巾の色でした。古下着は据えた匂いがして、それを雑巾にして、機械の油を拭き取って、燃やして暖をとる。雑巾の色は節約の色です。


物乞いを怠けているだけという人がいます。しかし、物乞いも立派な仕事です。技術も知識も持つ機会のなかった人が、自分の見栄も外聞もかなぐり捨てて、公衆の面前でひざまずき行き交う人々にものを乞う。こんな苦渋を伴う仕事です。東京にいる浮浪者とカンボジアの物乞いとは異なります。

ものを乞うのにもさまざまな技術(演出)が必要です。立っているだけでは誰も恵んでくれません。みすぼらしいだけでも、うずくまっているだけでも、哀れな声を出すだけでも、恵んでもらえません。一目見ただけで喜捨をしなくてはと思わせる演出技術、つまりテクニカル・タクティクス(戦術技術)が必要です。

演出技術だけでは足りません。マーケティング・アナリシス(事前顧客調査)も必要です。人々(顧客)が喜捨で優越感を得たり、喜捨ができて有り難いと思う時はどのような時か?どのような服装の人か?装飾品は?化粧は?人種は?。さらに、たくさんの子供集まりそうな場所は嫌われる、などのストラテジック・インフォメーション(戦略情報)も必要です。

人々はそんな優越感や功徳の心をくすぐる技術に対してお金を支払います。

親玉がピンハネするからと言う人もいます。ピンハネされても子供達の手に幾ばくかのお金が残り、そのお金で小さな命を「明日まで」つなぎ止める事ができます。

あなたに「物乞い」という仕事ができますか?

プノンペンから南へ その2

前項ではプノンペンから南へ国道2号線を下りましたが、今回はプノンペンから南へ国道3号線を3時間ほど下ってコンポート州にでます。コンポート州は海に面していますが、海の観光地シアヌークビルのような観光化はされていません。プノンペンから日帰りできる距離ですし、幹線の国道3号線よりも車が少なく舗装された31号線と33号線をたどればさらに速く行くことができます。

なぜ観光化されていないかというと、砂浜がほとんど無いためです。プノンペンの人達は魚やエビなどの海産物を食べにコンポート州に行くそうです。休憩所で海の幸に舌鼓を打って、ハンモックで休んだり、トランプの興じたり・・・と書くと興味を失う人が多いと思いますが、ちょっと待ってください。それだけではありません。

先ほど砂浜がほとんど無いと書きましたが、実はあります。島に行くととてもきれいな砂浜を楽しむことができます。私の行った島はコ・トムサイと言い、コは島、トムサイはウサギという意味で、ウサギ島となります。このウサギ島はとてもきれいでお勧めできます。

きれいな砂浜に様々なヤシの木が茂り、観光化されていない自然、日本人が持つ南の島のイメージそのままを楽しめます。背の低いヤシの群生に、板を渡して、木陰の縁台にし、ハンモックを吊す、そんな夢のような所もあります。海からの風を楽しみながら、ヤシの木陰に吊したハンモックで昼寝・・・いいですよ。島をぐるりと回ってみたり、シュノーケル*1で潜ってみるのも面白いかもしれません。

ただし、シアヌークビルも含むこのあたりの海には鮫がいるそうですので、一人で泳ぐのは禁物です。数人で海に入って誰かが必ず周囲に注意するようにして泳ぎましょう。船頭さんに見てもらうのも一案かもしれません。

ウサギ島には先ほどの休憩所に頼めば十人くらい乗れる船を一艘$20ほどで送り迎えしてくれます。島までの船旅は20分ほどです。島には水などの飲み物を持って行くことをお勧めします。また、船で出発する前に休憩所で海産料理を仕込んで島で食べるのも一案でしょう。

  南国の島へ 日帰り!

カンボジアの首都プノンペンにはそんな楽しみもあります。


*1 シュノーケル
私がいた頃は、プノンペン市内のペンシルマーケットという店の3階に水中眼鏡とのセットが売られていました。

プノンペンから南へ その1

プノンペンから南へ国道2号線を車で1時間半ほど走ると、チッソウ(ジッソウ)と呼ばれる小山があります。オッドン山などプノンペン周辺にある小山と同様にこの小山の頂上にもお寺があります。

プノンペンの北部にあってにぎやかなオッドン山の山麓とくらべると、南のチッソウ山は子供達の数も露天の数も少なく閑散としています。並んでいる露天も開店休業状態・・・とはいうものの子供達がいないわけではありません。山の南側に車を止めて降りると、例によって子供達がよってきます。

ここの子供達はオッドン山にいるファン・キッズや演劇少年団*1とは違って、英語を話します。少々驚きながらも話を聞いてみると観光案内をしてくれるそうです。

先にも書いたようにこの山の頂上にはお寺がありますが、その向こう側には遺跡があるそうです。小学生の高学年か中学生ぐらいの少女によると、この遺跡はアンコールワット周辺にある遺跡よりも百年ほど古い物と言われているそうです。

この山の南斜面からお寺まで続く階段道入り口の脇を見ると記念碑が建っていて、階段の寄贈者の名前として日本人とおぼしき名前が英語で彫られています。階段はそれほどきつくはないのですが、木陰がなく南国の直射日光が差しますので帽子や日傘は必須です。この階段を上り、門をくぐって少し行くと、道は二股に分かれていて、一方は山頂のお寺に続きます。

お寺では景色を眺めながら昔の道を思い描くとなかなか楽しめます。とぎれとぎれに並木が続き、メコン川の方に伸びています。その道を横切るような並木も見えますし、ため池のように見える場所もあります。遺跡が栄えた何百年も昔はどうなっていたのでしょうか。

お寺から下って、先ほどの二股道で残りのもう一方の道を行くと遺跡があるのですが…ここで呼び止められます。例によって外国人である我々はここで入場料を支払わなくてはなりません。

払う物を払って少し下ると、右手に遺跡が見えてきます。所々に壊れるだけでなく黒くすすけたところがあります。クメール・ルージュの影響だそうですが、竈ですすけたように見えるところもあります。お坊さんが生活していたのかもしれません。

子供達の解説を聞いていて、ハタと気づいたのですが、彼らの言っていることが何の苦もなく聞き取れます。なんと、彼らの発音が良いのです。

どうやら、英語がネイティブの外国人が来て観光案内を英語で教えたようです。これはなかなか良いアイデアです。いささか感心しました。少年少女達は英語を習いながら、生活の糧を得る方法も習っています。現金が入るので彼らの勉強への熱意もいやが上にも増します。

単に英語などの勉強を教えるだけでなく、習ったことをどのように生かして生活の糧にするか、ここまで考えて相手を納得させて初めて役立つ教育となります。勉強したいと思わせる教育、なかなかうまくやったな、やられたな、と感心しました。ここではチップ、いやガイド料金をたっぷりとはずみましょう(笑)

アンコールワットの観光ガイドは認可制ですが、子供は例外にしてもらい、英語だけでなく日本語の観光案内も覚えてもらいたいと思いました。日本語版公式ガイド・マップ*2の販売と日本語ガイドで子供達の生活が潤います。子供達の生活が潤い、日本人観光客の知り合いできれば、日本に対する興味も増し、未来の日本とカンボジアの友好に必ず役立つ、そう信じます。

*1 ファン・キッズや演劇少年団
他の項目を参照してください。

*2 日本語版公式ガイド・マップ
私が派遣されている訓練センターでは、アンコールワットの公式ガイド・マップを印刷しています。私も遺跡の日本語名の命名でお手伝いしました。日本語版の印刷もすでに校正やレイアウトが終わっており、予算がおりればすぐに印刷される予定です。

演劇少年団

2005年の元旦にプノンペン北部にあるオッドン山に行きました。以前にFan Kidsで紹介した山ですが、今度は演劇少年団を見つけました。

オッドン山の麓にはヤシの葉などで葺いた屋根だけの掘っ立て小屋がたくさんあり、その下に置いた桟敷で食事をしたりハンモックで昼寝をしたりできます。その桟敷に小学生ぐらいの少年が4人ほどでやってきます。顔には炭で歌舞伎のような隈取りを塗っています。かれらは歌を聴かないかと桟敷を一つ一つ尋ねて回ります。いわゆる門付けというやつです。

交渉が成立すると何やら歌い始め、歌に合わせて寸劇をします。これが異常にウケていています。クメール人は老若男女を問わずみんな声を上げて笑っています。女性などは笑いすぎて腹を抱えて桟敷で突っ伏していて、妊婦などは大丈夫かと心配になるほど笑っています。ウケがよいと、ご祝儀が出ます。ご祝儀が出ると芸に勢いが付いてさらにウケるようになります。もちろん、私には何を言っているのかサッパリ分かりませんが、みんなが腹を抱えて笑っているので、それを見ている私もおかしくなります。もちろん、ご祝儀を弾みました。

一通りネタが終わると、客の目の前でご祝儀の山分けが始まります。年長で一番活躍していた少年が、お金を取りまとめて一人一人に渡しています。

ところで、オッドン山の麓にはいろいろな露店が並んでいます。露店と言ってもムシロを敷いて売っているのはよい方で、天秤棒の籠を地面に並べただけの行商も多くいます。そんな店の中になつかしい飴細工もあります。私は何十年も前の小学校時代に見たきりでしたが、オッドン山で久しぶりに見ました。自転車の荷台に飴細工の道具を一式積んで子供相手に売っています。

オッドン山に遊びに来ている子供だけでなく、仕事をしている子供達も一緒になってみています。思い切ったようにお金を出して、飴細工を買っている子供がいます。きっと、売り上げが良かったのでしょう。

Fan Kids

2004年10月10日日曜日にプノンペン北部にある山寺に行きました*1。

左が湖、右が川になった道を北上すると、左の湖の向こうに小山が見えます。この小山が目的地でオッドン(またはウドン、アルファベット表記でOdongk)山といいます。同行したカンボジア人によると、地元の人しか行かないような観光地だそうです。プノンペン市周辺の一帯は全くの平地で、まれに巨大な岩石のような小山があります*2。そのような小山には決まって山寺があるようです。

麓の空き地が駐車場になっていて、そこに車を預けて昼食に出かけます。普通は早朝にここに到着して山に登ってから昼食だそうですが、到着したのが昼食時間です。麓にある露店で食べ物を買って、休憩所で食事をします。休憩所といっても我々が利用したのは雨よけ日よけのビニールシートを張って桟敷を置いただけです。

じつは、駐車場で車を降りてからこの休憩所に来るまで少年達がつきまとってきました。男の子だけでなく女の子もいます。しかし、彼らは物乞いではありません。何も言わずに黙々と団扇で扇いでくれます。団扇はヤシなどの葉を編んで作った物です。一度も洗ったことがなさそうな米漫画シンプソンズのTシャツを着た10才ぐらいの男の子は、私にねらいを定めたようです。

食事が終わって残り物を少年達に上げましたが*3、シンプソンズの少年は見向きもしません。こうなればお金を上げるしかなく、少年を呼んで500リエルを上げました。さらに、山寺に向かって出発するときに休憩所に残る女性を扇ぐという条件でさらに500リエルを上げます。これで、シンプソンズの少年を追い払うことができました。

山寺までの参道は石の階段になっています。石段には線香売りや物乞いがいますが、面白い商売をしている一団もいます。階段の踊り場に椅子を置き、階段で汗だくになった人を座らせます。その周囲を十人ぐらいの少年少女が囲み団扇で一斉に扇ぎます。これは涼しそうです。

頂上の山寺にたどり着き、お参りを済ませ、周辺の真っ平らな景色を眺めていると、団扇少女がやってきました。この少女は団扇だけでなく線香も売っていますし、青いプラスチックのバケツも持っていてなにやら入っています。いわゆる経営の多角化というやつです。

これはさすがに無視しようと思ったのですが、私のジーンズのポケットを指さしてなにやら言っています。よく見ると、ポケットからお金が覗いていました。少女はお金が欲しいという意味で言ったのかも知れませんが、追いはぎに遭いかねない状態を注意してくれたのかも知れません。いずれにしても、お金をやらないわけにはいきません。

お金を受け取ったのでその場を離れるかと思いきや、少女はプロ意識のある女性で山を下りるまで扇ぎ続けてくれました。何せ南国の真っ昼間の炎天下で、長い階段を下りるので異常に暑くなります。少女の団扇は有り難いことこの上なしです。もちろん、降りてからお金を追加しました。少女の日に焼けて垢にまみれた顔をよく見ると、可愛い顔をしています。元気すぎて地面に転がり落ちてしまったアプサラと言ったところでしょうか。

休憩所にもどるとシンプソンズの少年達は女性達となにやら楽しそうに話しながら扇いでいました。私が戻ると数人がかりで扇いでくれて、これがまた涼しい。少年達もプロ意識があって、私が車に乗るまで扇いでくれました。

団扇少年少女にはプロ根性があります。彼らに教育と仕事の機会があれば、カンボジアの将来はさらに明るくなるでしょう。

*1 本当は南部にある山寺に行く予定だったのですが、Phucomben(プチョンベン)という祭りの影響で大渋滞したために逆の北の山に向かうことになりました。川や山寺の位置から考えると、プノンペンは風水に基づいて決められた首都かも知れません。

*2 知人に高い山でどれくらいだとたずねると800程あると答えが返ってきました。「エッ、800mか?」と聞き返すと「800段」と笑っていました。プノンペンの人にとって山の高さは、山寺までの階段数なのかも知れません。

*3 食事を分け合って持って行く子供達の他に、水が入っていたプラスティック・ボトルを集めている少女もいます。彼女はボトルを地面に置いて、その上にピヨンと飛び乗ってポンッと音をさせてつぶします。ポンと良い音がすると、彼女はニコッと笑います。