2007年7月1日日曜日

雑巾の色

プノンペン市内でも物乞いで生活している子供達を見ます。雑巾の色、それが貧しい子供達が着ているシャツの色です。汚れて、洗って、汚れて、洗って、なんども、なんども、繰り返した色です。雑巾の色は貧困の色、ニッコリした歯の白が似合う色です。

雑巾の色は忘れた色でした。掃除の時には化学雑巾で使い捨て、飲み物をこぼすとティッシュやペーパータオルで使い捨てです。子供の頃、冬の朝に氷の張ったバケツにカチカチの雑巾が掛かっているのを思い出します。手に息を吹きかけて絞った雑巾、廊下を拭き走った雑巾、忘れられた色です。

子供の頃の膝あてズボンや肘あてシャツ、かかとやつま先の継ぎあて靴下、そんなときの色も雑巾の色でした。古下着は据えた匂いがして、それを雑巾にして、機械の油を拭き取って、燃やして暖をとる。雑巾の色は節約の色です。


物乞いを怠けているだけという人がいます。しかし、物乞いも立派な仕事です。技術も知識も持つ機会のなかった人が、自分の見栄も外聞もかなぐり捨てて、公衆の面前でひざまずき行き交う人々にものを乞う。こんな苦渋を伴う仕事です。東京にいる浮浪者とカンボジアの物乞いとは異なります。

ものを乞うのにもさまざまな技術(演出)が必要です。立っているだけでは誰も恵んでくれません。みすぼらしいだけでも、うずくまっているだけでも、哀れな声を出すだけでも、恵んでもらえません。一目見ただけで喜捨をしなくてはと思わせる演出技術、つまりテクニカル・タクティクス(戦術技術)が必要です。

演出技術だけでは足りません。マーケティング・アナリシス(事前顧客調査)も必要です。人々(顧客)が喜捨で優越感を得たり、喜捨ができて有り難いと思う時はどのような時か?どのような服装の人か?装飾品は?化粧は?人種は?。さらに、たくさんの子供集まりそうな場所は嫌われる、などのストラテジック・インフォメーション(戦略情報)も必要です。

人々はそんな優越感や功徳の心をくすぐる技術に対してお金を支払います。

親玉がピンハネするからと言う人もいます。ピンハネされても子供達の手に幾ばくかのお金が残り、そのお金で小さな命を「明日まで」つなぎ止める事ができます。

あなたに「物乞い」という仕事ができますか?

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