2007年7月1日日曜日

プノンペンから南へ その1

プノンペンから南へ国道2号線を車で1時間半ほど走ると、チッソウ(ジッソウ)と呼ばれる小山があります。オッドン山などプノンペン周辺にある小山と同様にこの小山の頂上にもお寺があります。

プノンペンの北部にあってにぎやかなオッドン山の山麓とくらべると、南のチッソウ山は子供達の数も露天の数も少なく閑散としています。並んでいる露天も開店休業状態・・・とはいうものの子供達がいないわけではありません。山の南側に車を止めて降りると、例によって子供達がよってきます。

ここの子供達はオッドン山にいるファン・キッズや演劇少年団*1とは違って、英語を話します。少々驚きながらも話を聞いてみると観光案内をしてくれるそうです。

先にも書いたようにこの山の頂上にはお寺がありますが、その向こう側には遺跡があるそうです。小学生の高学年か中学生ぐらいの少女によると、この遺跡はアンコールワット周辺にある遺跡よりも百年ほど古い物と言われているそうです。

この山の南斜面からお寺まで続く階段道入り口の脇を見ると記念碑が建っていて、階段の寄贈者の名前として日本人とおぼしき名前が英語で彫られています。階段はそれほどきつくはないのですが、木陰がなく南国の直射日光が差しますので帽子や日傘は必須です。この階段を上り、門をくぐって少し行くと、道は二股に分かれていて、一方は山頂のお寺に続きます。

お寺では景色を眺めながら昔の道を思い描くとなかなか楽しめます。とぎれとぎれに並木が続き、メコン川の方に伸びています。その道を横切るような並木も見えますし、ため池のように見える場所もあります。遺跡が栄えた何百年も昔はどうなっていたのでしょうか。

お寺から下って、先ほどの二股道で残りのもう一方の道を行くと遺跡があるのですが…ここで呼び止められます。例によって外国人である我々はここで入場料を支払わなくてはなりません。

払う物を払って少し下ると、右手に遺跡が見えてきます。所々に壊れるだけでなく黒くすすけたところがあります。クメール・ルージュの影響だそうですが、竈ですすけたように見えるところもあります。お坊さんが生活していたのかもしれません。

子供達の解説を聞いていて、ハタと気づいたのですが、彼らの言っていることが何の苦もなく聞き取れます。なんと、彼らの発音が良いのです。

どうやら、英語がネイティブの外国人が来て観光案内を英語で教えたようです。これはなかなか良いアイデアです。いささか感心しました。少年少女達は英語を習いながら、生活の糧を得る方法も習っています。現金が入るので彼らの勉強への熱意もいやが上にも増します。

単に英語などの勉強を教えるだけでなく、習ったことをどのように生かして生活の糧にするか、ここまで考えて相手を納得させて初めて役立つ教育となります。勉強したいと思わせる教育、なかなかうまくやったな、やられたな、と感心しました。ここではチップ、いやガイド料金をたっぷりとはずみましょう(笑)

アンコールワットの観光ガイドは認可制ですが、子供は例外にしてもらい、英語だけでなく日本語の観光案内も覚えてもらいたいと思いました。日本語版公式ガイド・マップ*2の販売と日本語ガイドで子供達の生活が潤います。子供達の生活が潤い、日本人観光客の知り合いできれば、日本に対する興味も増し、未来の日本とカンボジアの友好に必ず役立つ、そう信じます。

*1 ファン・キッズや演劇少年団
他の項目を参照してください。

*2 日本語版公式ガイド・マップ
私が派遣されている訓練センターでは、アンコールワットの公式ガイド・マップを印刷しています。私も遺跡の日本語名の命名でお手伝いしました。日本語版の印刷もすでに校正やレイアウトが終わっており、予算がおりればすぐに印刷される予定です。

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