2007年7月1日日曜日

アンコールワット・ハーフ・マラソン

2003年の12月5日にアンコールワット・ハーフ・マラソンに参加しました。以下はその時のメモです。

プノンペン在住のJICA シニアボランティアからは総勢5人の参加です。

前日の早朝にプノンペンを発ち、シェムリアップのホテルにチェックイン後、運営事務局に行って最終登録をすませます。実は事前登録の時点でいろいろと問題があり、最終登録でも事前に渡していた写真がなくなり、一部の人が市内のカメラ屋で撮影しなおすという問題が発生しました。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

私はアンコールワットが初めてだったので、ほかの皆さんにおつきあい頂いてコースの下見をかねて観光しました。もちろんコースの下見は車ですが、車で走ってもハーフ・マラソンの21kmはほんとうに長いです。

シェムリアップに来る前に、あらかじめ1時間半走って体調を見ると同時に時間を計りました。その結果を基に計算すると21kmを走るのに四時間かかります。その時には時間制限がないという話しでしたので、私はのんびりと駆け足程度で走る事にしていました。

ところが、下見の時に恐ろしい話を聞かされました。3時間を過ぎると会場が撤収されて誰もいなくなり、遅い走者は後ろからトラックで追いかけられ「トラックに乗れば楽だよ!」と悪魔のささやきがある…そうです。

出発は朝の7時ですが、例によっていろいろと出発前の儀式がいろいろとあります。ところが、主催社「ハート・オブ・ゴールド」代表でマラソン走者でもあった有森裕子さんが来てません。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

ようやく儀式も終わり7時30分に出発です。同行の知人は10kmコース参加予定を急遽予定変更してハーフ・マラソンで出発です。私はとにかく3時間を切らなくてはならないので、駆け足よりも早めで走り始めます。たくさんの参加者がいるのであっという間にみんなバラバラになって走る事になります。最初の頃は交通制限や整理もあるのですが、30分も走って「アンコールワット」の東側辺りになると交通整理すらなくなります。

バスやトラック、乗用車などが道路脇を走る私のすぐ脇をかすめるように・・・いや一台のバスは実際に私をかすめて走り抜けました。道ばたには露店や一般の観光客、声援の人達がいるし、石やゴミが多くて、道の端によって走ることができません。これでは危険なので、道の中央を走ることで車からよく見えて、大きく迂回しないと追い抜けないようにして走ります。それでも、バスや4WDのディーゼル・エンジンからはき出される黒煙の中を走る事になります。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

さらに30分ほど走って「バンディアイ・クディ」という遺跡で左折すると車の数が少なくなります。道ばたには歓声を送ってくれる地元の人々がいます。子供達はハイタッチしようと近づいてきますが「この歓声にハイタッチなどでまともに答えていると体力を失う」そう聞いていた私はニコリとするだけで勘弁してもらいます。一緒に走る子供もたくさんいて、アッという間に追い抜いてきます。いやみたらしく何度も追い抜いていく子もいますが、この挑発に乗ると残された道は自滅とその後に続く周囲からの嘲笑と自責の念だけ…我慢ガマンです。

テレビなどで知っている人も多いともいますが、マラソンのコースには給水所があります。テレビなどでは紙コップで渡す場面をよく見ますが、ここでは500mlのペットボトルが用意されています。知人にマラソン好きの米国人がいるのですが、彼に言わせると給水所の数が十分ではないそうです。実際にこの問題を見越して一部の欧州人グループはコースの要所々々で特性の飲み物を準備して、美人の女性が渡しています。それを羨ましく思いながら通り抜けます。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

私は水を一口か二口飲む程度にして、あとは頭と両足にかけます。12月といえどもカンボジアの炎天下ですので帽子は必須です。私の帽子はメッシュになっていて水をかけるとしばらくは涼しくなります。私の服装はTシャツに膝までのズボンですが、履き物はプノンペンで買ったサンダルです。

私は走るのも歩くのも下手で 山を3日か4日歩いただけで足の爪がはがれます。登山用に靴を特注で作ってもらった事もありますが、爪がはがれます。プノンペンには靴の特注を受けてくれる店もあるそうですが、ランニング用の靴は素材がありません。そこで、面テープ(マジックテープ)でピッタリと足にあって軽いサンダルを選びました。それでも、よほど走り方が悪いらしく、他の人の足音に比べて私の足はドタドタと大きな音を立てています。走り方を変えればよいのですが、すでに走り始めてから一時間を過ぎて、そのような余裕もなくなってきます。

コースの給水所のすこし先にはボトル拾いの少年少女が待ち受けています。こちらの余裕がないので拾ってくれるのを願って彼らの足下に向かって投げます。できるだけ小さな子供に向かって投げようとするのですが、コントロールが悪くて年長の子供達が走ってきて持って行きます。声援を送ってくれる子供達と比べて、彼らが無表情なのが気になります。

コースの半分ぐらいから足以外の筋肉が痛くなり始めます。足が痛くなるのは最初から覚悟していたのですが、両腕と両肩、さらに腹筋が痛くなるとは思ってもいませんでした。山を歩いている時にこのような事はありません。マラソンを走る時には足だけでなく両腕や腹筋などのトレーニングもした方が良さそうです。

痛くなった筋肉は水をかけると少し治まりますが、給水所が少ないのでなかなかそうも行きませんし、500mlのペットボトルを手に持って走るだけの余裕もありませんし、腰などにぶら下げるペットボトル用袋などは邪魔になりそうです。ただし、もうしばらく走ると体が麻痺して痛みすら感じられなくなります。

痛みが感じられなくなった頃に、後ろから知人がが声をかけてくれました。私はいっぱいイッパイで、返事すらまともにできません。知人はあっという間に私の視界から消えます。痛みは感じられなくなるのですが、ペースがドンどん落ちていきます。気づくと遅くなっているので、絶えずペースに気を遣うようにします。何度か他の人の後ろを走る事で走るペースを一定に保とうとするのですが、こちらの体力がついていけず取り残されてしまいます。もう少し体力があるつもりだったので、これはかなり悔しいです。

「勝利の門」を抜けて「綱渡り踊り子の塔」辺りになると「象のテラス」がみえます。ここでは何かの大きな法要があるらしく、鉄骨アングルを組み舞台を大きくして椅子を並べています。昨日の下見で見た風景なので何となく分かるのですが、疲れがひどくて黄色い法衣をまとった僧侶が多いなと感じるだけです。

「バイヨン」の西側を迂回して「南大門」を抜けます。「南大門」とそれに続く橋の辺りは道幅も狭く観光客も車も多いのですが、交通整理されてません。ここでは観光客と車の間を右に左にとよけながら走る事になります。実際に観光客に混じった東洋人男性がよろけて私に当たりました。しかし、今から思えば疲れたランナーをねらったスリだったかも知れません。幸い私は何も持たずに走っていたのですが要注意です。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

「南大門」からは最終の直線コースです。この直線コースがどれだけ続いているかイメージできてきませんし、アンコールワット前のどこがゴールになっているのかも分からないので、どの時点で残った力を振り絞って良いかが分かりません。昨日に渡されたパンフレットに地図があるのですが、ゴールの場所が分かりにくく、現地で探してもよく分かりません。この手の大きな大会には、何度やっても、どうしても、問題がつきまといます。

やむなく、アンコールワットが見えるようになった辺りでラストスパートする事にしました。ゴールは右という横断幕も見えます。ちょうど前を走っている東洋系女性に一緒に走らないかと声をかけて、声を出しながらペースを上げていきます。思っていた以上に力が残っていて、右折時には体を右に倒して回るほどです。アンコールワット前で西に右折すると、木々に隠れていたゴールが20mほど先に見えます。ゴール・ゲート上にはデジタル表示の時計があり、私は2時間22分30秒でした。

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